2012-11-01から1ヶ月間の記事一覧

瞑想の話

瞑想と言うのは「かくあれ」と「念じる」事では無くすべての神性を「観る」(みる)事であるというのは以前書いたかもしれませんが。 それでも「我」という肉体個我が瞑想するのだと思うとうまくやらなければいけない、等と余計な力みやあせりになったりし…

感謝生活

感謝生活に不幸無し感謝生活に病い無し感謝生活に悩み無し感謝生活に悲しみ無し感謝生活に迷い無し 感謝生活とは「無条件感謝」の生活です。「無条件」とは「我の理屈」を捨てるということです。 「我の理屈」を捨てた時本当のあなた「内在の神性」が、目覚…

瞑想の話

瞑想と言うものを「悟り」を得るための「手段」であり何か「技術」的な工夫が必要だと、思われている方がいるかもしれませんがそれは違います。 瞑想はただ、神様に感謝の念を捧げるそれだけで良いのです。 現象がいかにあろうとも肉体の自分がいかにあろう…

続・御心を成さしめたまえ

自分が神の御心を成さんがために存在しているとわかれば神は全ての全てですから自分をとりまく一切が自分と共に、神の御心を成さんがために存在しているということがわかります。 そうすると、自然に天地礼拝万物礼拝すべてに感謝が実現するのです。

御心を成さしめたまえ

御心を成さしめたまえと、祈りましょう。ただひたすらに祈りましょう 助かりたいとか成功したいとか病気が治りたいとか問題事を解決したいとかお金をもうけたいとか そんなものは一切気にする必要はありません 「御心」とは神様が、あなたをお作りになった…

「外界」は即ち「内界」である

通常我々は、「外界」に問題事が起こるとその問題事を解析しその原因をつきとめその原因を解決する事で問題事をなくそうとします。 しかし「外界」と「自分」が対立的に存在しているのですからそうそう自分の自由にはなりません。 スピリチュアルな修行が進…

「すべてに感謝する話」の説明

繰り返しになるかもしれませんが「すべてに感謝する話」の説明をしたいと思います。 例えば、自分に害をなす他人がいるとして「すべてに感謝」するわけですからその人に対しても感謝するわけですが 「自分に害をなす相(すがた)」に感謝するわけではないの…

喜びましょう

喜びましょう 無条件で 喜びましょう 何かよい事があったから喜ぶのではなく 喜ぶ事によってよい事を呼び寄せるために 喜びましょう 喜びがあなたの本来相ですからその本来相を現象界にあらわすために 喜びましょう 神への捧げもの宇宙に対する捧げものであ…

あるように見えても、無いものは無い

先日の「死ね、さすれば、生きる」の続きになりますが もし、苦しんでいる、とか悲しんでいる、とか病んでいる、とか迷っている、とかそういう方がいましたら、 苦しんでいる、とか悲しんでいる、とか病んでいる、とか迷っている、とかその時点で、それは「…

真理は理屈でも理論でもない

私がこのブログを書いているのは 「存在するものは「神」のみである」「現象は心が描く3次元映像であって、実在しない」 と言う事を説かんがためなのですが それは、まずは皆さんの現在意識に納得してもらわんがためです。 納得してもらわなければ、真理を…

落とし穴

「他人を救ってやろう」と言う考えは一見、良い事のように思われますが 「全てが既に救われている」という神様の創造を疑うものであり神に対する冒涜であり偽我による慢心です。 そもそも環境は自分の心の投影ですから「救われていないように見えている他人…

死ね、さすれば、生きる

失われるものは、はじめから存在しなかったものです。死ぬものは、はじめから生きていなかったものです。 はじめから存在するものは、永遠に失われる事はありません。はじめから生きているものは、永遠に死ぬ事はありません。 それならば、何を失うとおそれ…

おさらいと昨日の解説

ここで簡単におさらいをしましょう。 我々人間は、本来無限者なる「神」である。 現象世界は、時間と空間の座標をもった3次元スクリーンでありそこに様々な段階の「心」を媒介として我々は、神様の無限内容を表現しようとしている。 しかし、多くの人は潜在…

瞑想

「瞑想」は習慣になっていますか? 「機械的にでも、感謝の言葉を唱えましょう」「機械的にでも、神性の自覚の言葉を唱えましょう」と、以前書きカましたが、 機械的にでも就寝前、起床後に一定時間「本当の自分を見つめて、感謝する」「本当の世界(万物)…

神性の自覚の言葉

以前「感謝」の話の時に とにかく機械的にでも「ありがとうございます」と、心の中で唱えましょう といったような事を書いた事がありましたが http://blogs.yahoo.co.jp/hakuasin/23255859.html 神性の自覚の言葉もとにかく機械的にでも唱えましょう。 「我…

人体細胞の新陳代謝

人間の細胞というものは年齢によっても差がありますがだいた3ヶ月もすれば新陳代謝によってすべて入れ替わるそうです。 3ヶ月前のあなたと今のあなたは物質的現象的には「別人」のはずなのですがまあ、3ヶ月前のあなたと今のあなたは同じであると、皆さ…

業の流転の話

霊界を含めて、いわゆる五感六感で認識される世界「現象世界」は時空のスクリーンに潜在意識を含めた「私達の心」が投影された「三次元映像」の世界です。 面白くない事があって不快になる。不快な心が、面白くない現象をまた作り出す。それを見て、また不…

本来無きもの

以前こんな事を書きましたが、 http://blogs.yahoo.co.jp/hakuasin/18100732.htmlhttp://blogs.yahoo.co.jp/hakuasin/18712156.html 人間は実在の世界では「自他一体」ですから他人に対してはどこまでも自分と本来一つである「神様」の姿を観じ礼拝し、感謝…

「祈り」とか「瞑想」とか

「祈り」とか「瞑想」とかなさる方もいるかと思いますが 「誠心誠意」「真剣」に行ってください。「誠」がないと神様には通じません。 そして「私利私欲」無く「無我」で行ってください。 自分が悟ること神性を顕すことそれが神の御栄えを顕すことであり宇…

続・その果によりて

これも繰り返しになりますが以前、シャーリー・マクレーン関係で「チャネラー」について書いたり「シルバー・バーチの霊言」について書いたりした事があります。 「実在」「本当の姿」と言う観点から見れば神様は、常に私たちと一体なのですが「現象世界」…

「天国」と「地獄」について

以前霊界の「天国」と「地獄」について「長い箸」の話、と言う記事を書きました。 http://blogs.yahoo.co.jp/hakuasin/16032909.html どうも「神様」なる方が「天国」にいて我々が死んでから、そこへ行く事を待っているとかお釈迦様が「浄土」で我々を待っ…

すべては自分の中に

以前から何回か書いていますが 人間は常に、五感から受ける印象を潜在意識にしみこませています。 五感には「人間は、肉体と言う個別のものであって それが、宇宙の中に存在している」と言う風に感じられますから五感に映る世界は、自分の外にある、と言う…

「痛み」の例え話

以前「病気の症状」について書いた事がありましたがhttp://blogs.yahoo.co.jp/hakuasin/8410303.html 病気にもよりますが「痛み」はその痛んでいる体の部分に血液の総動員命令を「命」が下しているという事があります。 「痛み」自体が「病」ではなくて「病…

「自分は正しい」という落とし穴

だいぶ昔に人から聞いた話です。 ある地方の会社が東京に進出しようということで寮のようなアパートを建てて、東京の支店に勤める人(つまり、もともとはその地方の人)と家族を住まわせる事にしました。 元々は一戸建てに住んでいた人々が、ある意味密集し…

失敗するまいと努めるほど失敗する人へ

昨日「例え話」と書いていながら何の「例え話」なのかを説明するのを忘れてしまいました(汗) つまりは「心の働き」の「例え話」だったわけです。 何か苦手な事があって失敗するまい、失敗するまいと、注意すればするほど失敗してしまう、という経験はどな…

太りたいのに太れない人

これもいつか書かねば、と思っていたのですが 太りたくて、一生懸命食べるのに太れない人。体質もあるでしょうが 要は、口から入れた栄養を体が捨てているわけです。 まわりはみんな敵だと思って他人を排除する心 自己に凝り固まって天地の恵み、他人からの…

例え話(ダイエット)

これは、一種の例え話としてお聞きください。 ダイエットというものがありますがあまり成功したという話は聞きません。 第1に、人間の心は、禁止された事をやりたくなる、という性質をもっていますから「食べてはいけない」となると、食べたい衝動、切迫感…

観音様の話

観音様というのは「観世音菩薩」「観自在菩薩」とも呼ばれます。「世」の「音」すなわち、波動=我々の心、行いを「自在」に「観」じたもうて、救いの手を差し伸べてくださる菩薩様です。 その働きの中に、人の心のありように応じて、三十三身に姿を転じる…

「愛している」と、心の中で唱えましょう

心に余裕がある時に 「私は神を愛している」「神は私を愛している」「私はすべてを愛している」「すべては私を愛している」 と、心の中で唱えましょう。心が安らぎに満たされるまで唱えましょう。 できれば、じっくり瞑想しながら唱えましょう。 知っている…

「修行が足りない」と言う人

「自分はまだまだ修行が足りないもので」という事を言う人がいます。一見、大変謙遜した言い方のようですが、実は、不遜、傲慢、神に対する冒涜であったりします。 「悟り」とか「救われ」は「肉体個我」の修行によって成就するものではないのです。そうい…